コシアブラと山ウド

まだ林道には雪が残っていた。蕗の薹やウドなど地面から直接生える草木は影響がありそうだ。

今回にエントリーについては写真の画質にやや難があるものばかりで、このまま公開するのも心苦しいのだけど、当日の雰囲気だけは感じ取れるかなとは思っているので、記録としてそのまま公開しようと思う。

北海道ではコシアブラの知名度は低いようで、人間によるプレッシャーは極端に少ないようだ。この為、近場でも生えていれば既に採取された後という可能性は少ないものの、それなりの量を採取したいという場合にはコシアブラが豊富な山林へ遠征ということになるのだ。

コシアブラ 筆穂で最上の部類だが、木によっては芽を残している。

林に入った直後は少し早いかなと感じたコシアブラだけど林内を彷徨いていると、木の大きさによって芽の出方が全く違う様だ。大きな木が何本もあればまとまった食べ頃の芽が収穫出来たので、走りではあるものの、訪れたタイミングは結果的にはちょうど良かったのかなと思っている。

これはハリギリ 食わず嫌いなので食べた事はないが、仲間の評価も今ひとつなので更に躊躇してしまうのだ。

コシアブラ 筆穂と呼ばれこれくらい伸びた芽が市場では最上の部類。但し、天ぷらにしてしまうと多少伸びた芽との差をそれほど感じはしない。

コシアブラ 天ぷらであれば、これでも上々だ。

コシアブラ

コシアブラ

収穫したコシアブラ それなりの量が確保できた

コシアブラの天ぷら ウドと並び、春山菜では最上位だと思う。

コシアブラご飯 コシアブラを洗った後、水分を拭き取り、みじん切りにした物に塩を少々。軽く揉んでから白米に混ぜて頂く。単純だが美味。

標高が高いわけじゃないのだが雪が残っていた為、蕗の薹もこんな出方としているものが多かった。

山ウドも今年は少し早かったと思うが、斜面によっては最上の物が出ているのだ。

ウド 判りづらいけれど、かなりの芽が顔を出している。

若い時分には好んで食べる事はなかったウドだけど、色々な物を味わい、酒を嗜むようになってからは、苦みを美味しいと感じるようになった食材の一つ。その意味ではコシアブラもかなり癖が強いので、ウドと同様に子供の頃は美味しいと感じない食材であろう。

同じ時期の山菜としてタラの芽があるけど、ウドやコシアブラを知ってからは個人的には最下位の評価だ。もっとも好みの話であり、絶対値的に美味しいかどうかということではない。逆に言えば癖がない味なので、子供や苦みが苦手な人にとってはタラの芽が好まれるかもしれない。

コシアブラ林へ向かう林道脇に生えている事の多いウドだけど、崖崩れした斜面のような柔らかい土壌を好むようだ。良いか悪いかは別として、この地もウドが乱立している場所は、木々を伐採した後に土地を均して数年経った場所である。

ただ、今年については林道の雪が遅くまで残り、ウドについては出方が遅いと感じた。もっとも、やはり場所次第なので林道を走ると食べ頃のウドが広がっている場所もあった。採取したのは根を含めて20cm程度の食べ頃のもの。30cmくらいまでと言われているけど、食べ比べると短い方が間違いなく柔らかくて美味しいと思う。

長さ20cm程度の食べ頃である山ウド

泥だらけなので袋のまま撮影しているけど、ウドも上々な物が収穫出来た。

ウドの天ぷら コシアブラとは違う方向に癖があり、これも美味である。

ウドのキンピラ 若い芽を使っているので、柔らかく、かつ、鮮烈な刺激で美味である。

これはタラの芽。伸びている芽が多かったのだが、手頃な芽も出ていたので僅かに摘まんできたものだ。