早朝より左岸のいつもの流域を釣り上がるが、全くと言って良いほど反応が無かった。元々、数が釣れるポイントではないけれど、訪れるたび何本かの型を見ている流域にも関わらずである。勿論、活性や流域に魚が居ないという事も可能性としてはあるけれど、経験的にこれはちょっと厳しいと思わざるをえない状況で早々に場所を移動した。
今年の十勝川は、パターンが決まっていて朝一番に一発勝負ポイントを流し、次にウェーディングポイントの様子を覗うというものだ。後者に関しては、そろそろ魚も入ってくるだろうと目論んでいたけれど、氷点下の朝、ハードなウェーディングは出来れば避けたいものだ。これは、寒い云々より、ガイドやリールの凍結に対処が大変だからだ。案の定、朝一番のポイントではガイドとラインローラーの結氷に悩まされた。ライントラブルも頻発し、そろそろナイロンラインのお世話になる時期が来た様だ。
場所をウェーディングポイントへ変えた後、広範囲にポイントを攻めてみたが反応は皆無であった。今年の十勝川は大水の影響で地形が変わっている事と、その影響を引きずっているのか濁りが取れない状態が続いている。この日の濁度は茂岩で80を超えていた。例年、水が落ち着いている時は30以下とウェーディングしていても底が見える状況が普通だ。この濁りが影響しているのか、実際のところはアメマスに聞いてみないと判らない。ただ、この日はウェーディングポイントでは入った直後から、昼過ぎまで反応は殆ど無かった。僅かに40cmあるかないかの小型が釣れたけど、十勝川でこのサイズは狙って釣る方が難しいものだ。
あまりの反応のなさに、釣りを諦め、撤収を考えていた昼下がり。正面へキャストし、スプーンがターンを終えて流れと平行になった頃、いきなりロッドが絞り込まれた。上がってきたのは56cmと中の上といったグッドコンディションのアメマスであった。普段であれば、このクラスの写真などは撮影しないのだけど、これが最後の一匹かもしれないと弱気となり、岸へ戻りアメマスの写真を納めた。
流れに戻り、一投目。何度かのフォール時に違和感を感じた。上がってきたのは少し小ぶりのアメマスで早々にフックを外しリリースする。今度はやや上流にキャストし、リフト&フォールを繰り返す。正面を通過後、長いフォールとターンで引ったくるようなバイト。ヘッドシェイクの感じから大型ではないと判断したけど、寄せてからは予想以上に浮いてこない。ランディングすると、長さはそれほどでもないけれど、時期を考えると、太っていると思えるアメマスであった。遡上ではない証拠に、頭に擦り傷が多数入っていたけど、産卵後の荒食いで体を回復させたという事なのだろうか。
この後、2度ほどのバレがあり、暫く反応が無い時間があったけど、最後の一匹は26gのスプーンを上流45度の角度で打ち込んだ時に来た。着水後のフォールからリフトに移る時に喰ってきたので、殆ど鼻先に着水してくれたのかもしれない。これが写真のアメマスで十勝川にしては、白斑が大きな個体だなと感じた一匹であった。60cmは切っているけど、尾の方の白斑は既にドーナツ化しつつある個体で今回の記憶に残る一匹となった様な気がする。
その後もポイントを攻めてみたけど、重量級スプーンをキャストミスでロストした段階でストップフィッシング。昼食も食べていなかったし、長時間ウェーディングを続けたので体の方が悲鳴を上げていたのだ。結局、訪れたポイントで釣りになったのは1時間くらいの事だ。それまで3時間ほど粘って殆ど反応が無かった同じポイントなのに、何故急に魚が反応したかは僕には判らない。帰宅してテレメータを再確認してみたけど、水温が3度台から4度台に上がったタイミングである事は判った。ただ、それが今回のトリガーとなったかは判断出来ない。それでも、この時期は早朝よりは昼頃の方が調子は上がるので、やはり水温が高い時間という事はあるのかもしれないね。もっとも、テレメータや水温計を見ながら釣るなんて事は僕には出来ない。否定はしないけど、僕は感覚的な釣りの方が性に合っているのだと思う。
旅来(たびこらい)という地名は、北海道の難読地名にも出てくる地名であり、市町村で言えば豊頃町になる。対岸の愛牛は浦幌町であり、十勝川を境にしている事が判る(実際には、現在の川筋と境は異なる。古い地図を確認したが河川改修前の川筋がベースとなっている模様。故に石碑のある旅来と愛牛の大蛇行部も丁度導水路の対岸付近は浦幌町となっているようだ)。勿論、北海道の多くの地名と同じく、共に語源はアイヌ語の地名である。この旅来の石碑、十勝川を訪れる釣り人であれば目にする事も多いと思うのだが、石碑をじっくり見た人は少ないのではないだろうか。
この石碑は、旅来と愛牛を結ぶ渡し船が廃止された時、歴史を残そうと作られた碑だ。1992年(平成4年)に十勝川河口橋が完成し、渡し船が廃止された。僕は実際にこの渡し船に乗ってみた事はないけれど、始めて道東を旅した時、ナウマン国道(国道336号線)を東に進むと十勝川があり、茂岩まで迂回した記憶がある。当時は最下流の橋が茂岩橋だったのだ。だから付近の方は対岸に見える隣町へ行くにも茂岩経由か渡し船しか無かったのだ。開拓時代の明治から平成まで、歴史と共に存在していた渡し船。僕は土地の人間ではないので、それほどまで思い入れはないけれど、少なくとも歴史という意味でこの石碑はとても重みを感じてしまうのだ。