2024 残暑残る九州にて

プロローグ

城や神社仏閣など、歴史的な建造物を目的とした旅も増えてきたけれど、若い頃は好きな自然の風景を楽しみに景勝地を訪れる事が多かった。そんな過去の旅では天候に恵まれず、訪れては雨や霧で何も見えないという事も少なからずあり、再訪を願ってもなかなか同じ場所を旅する余裕がなかった。
それは金銭的という事もあるけれど、訪れた事がない場所へ行きたいと思う気持ちが強く、それを優先させてしまったからだ。今回の旅はそんな過去の願いを少しは叶えたいと考えた旅である。

佐賀県 虹の松原

虹の松原 人工林であるものの、100万本と言われる規模であり見応えは十分

以前の旅行時にも書いたけど、この松林は人工林である。もっとも、植林されたのは17世紀初頭に唐津藩主が防風防砂の為に松を植えたということだ。結果的に今でもとても見事な松林が唐津湾の海岸線に残り、日本三大松原の一つと言われているらしいけど、実際に広大な松林は本当に見事である。

虹の松原 古木だが盆栽の様な枝ぶりは見事であった

虹の松原 僕の見立てではタマゴテングタケ 違うかもしれないけれど、食べると深刻な結果になりそうな種類のキノコだ。

虹の松原 海岸線に出ると唐津城がみえる 風が強く、波高い日であった

佐賀県 呼子

呼子 尾ノ上公園の呼子大仏像

呼子 尾ノ上公園より唐津方面を望む

呼子 宿の窓から 山の上に見えるのは加部島にある風の見える丘公園の展望テラス

また呼子を訪れたのは、自分がイカ好きという事が大きい。釣友に誘われたイカ釣りの船上で活イカをご馳走になったり、函館などではそれを売りにしている店も多いので、わざわざ九州へというのも物好きだとは思う。

ただ、北海道では殆ど流通のない(希に売られているので皆無ではないけれど、入手性は非常に悪い)ケンサキイカやアオリイカは、遠征しても食べる価値はあると思う。呼子以外でもそれらのイカを味わえる場所はあるけれど、それでも呼子なのは、札幌からの直行便がある福岡から近いという事が理由だ。

また、飲食店だけではなく宿泊施設でもイカを売りにしているところも多く、呼子に泊まればイカを味わえるという事も理由だろうか。日中はかなりの人がイカを求め、数時間待ちなどという人気店も多いようで、地元ならともかく観光で訪れている場合は今風に言うタイムパフォーマンスが悪いと思うのだ。

今回の宿はコロナ禍前に呼子を訪れた際に泊まった事のある尾ノ上Ryokanさん。元々が国民宿舎であり、建物も古いのでバストイレは別と今どきを宿とは違うけど、逆にこうした宿の方が僕は心地よい。

食事については全てのコースに活イカがついてくるわけではないけど、活イカをつけても安く宿泊が出来る。そうした宿が故に、今回は佐賀国体(今回から正式名称は変わったが)の選手団体が宿泊していた。

呼子 尾ノ上Ryokanさんの夕食 先付け

呼子 尾ノ上Ryokanさんの夕食 お造り

呼子 尾ノ上Ryokanさんの夕食 呼子と言えばこれが定番 活ヤリイカの刺身(地元にならってヤリイカと書いたが、正式にはケンサキイカ。北海道でも水揚げのあるヤリイカとは種的には近いものの、別種である。旨味成分が非常に多いイカの為、活でも歯ごたえと共に甘みを感じる)

北海道で活イカといえばスルメイカである。透き通った身は歯ごたえがあり、決して不味いものではない。特に活イカのゴロは活でしか味わえない旨みとコクがあり、僕も船上で食べたときは驚いたものだ。それでもスルメイカの身については食感は落ちるものの、甘み旨みは身が白くなってからが美味しいと僕は思う。

ケンサキイカやアオイリイカについても本当はスルメイカの様にイカを締め、暫く時間を置いた方が旨みは増すと思うけど、この二種は旨み成分が日本のイカの中では突出して高いため活で食べても甘く独特の食感を味わえる。但し、先にも書いているけど恐らくは一晩ほど寝かせた方が旨味は上だろう。それでも活の食感は独特の味わいもあり捨てがたい。両方を味わえれば、それは最高の贅沢なのかもしれない。

呼子 尾ノ上Ryokanさんの夕食 これが別注文で赤ウニの刺身。南方系のバフンウニであろう。

呼子 尾ノ上Ryokanさんの夕食 刺身にしたイカのゲソとエンペラを天ぷらにして頂く(塩焼きか天ぷらが選べる)

呼子 尾ノ上Ryokanさんの夕食 鯛のあら煮

呼子 尾ノ上Ryokanさんの朝食 香の物の右にあるのが魚の漬け。ご飯に乗せ茶漬けでも恐らく美味しいと思う。同じ呼子の旅館では名物として出しているほどだが、個人的には漬けをアテにして飲みたいものだ。

呼子朝市 食べ歩きであれば観光客でも良いのだが、干物などは旅先では買いづらいものだ

祐徳稲荷神社

祐徳稲荷神社 入口付近からは御本殿は木々に隠れている

祐徳稲荷神社 楼門 色彩や造形が見事である

前回は時間の余裕がなく奥の院を訪ねる事が出来なかった事と、夏以降は境内に風鈴が奉納されて音が心地よい場所と聞いた為、今回は宿を出て午前中いっぱいは神社参拝となった次第。こちらの神社は門をくぐった後、御本殿はかなり上に位置している為、階段が続いているのだけど、その階段に多くの風鈴が結ばれており目と耳を楽しませてくれた。

予定していた奥の院は無事に参拝出来た。最後の100mは確かに急坂ではあるものの、釣りやタケノコに比べれば楽だとは思う。それでも参拝路は上下ともに石の場所もあり滑りやすい場所も多く革底靴やハイヒールは避けた方が無難だろう。ちなみに参拝客の多さに比例しているのだと思うけど、奥の院への参拝路は何ヶ所か救護時の場所が特定できやすい様に番号札が設置されていた。

急坂に体調が悪くなったり、それこそ転倒して骨折などという事が多いということなのだと思う。

祐徳稲荷神社 本殿が木に隠れているが、櫓の上の建物が本殿

祐徳稲荷神社 楼門前より本殿をのぞむ

祐徳稲荷神社 参道には数多くの風鈴が奉納されていて、見た目もさることながら風鈴の音が重なり響いていた

風が吹くと多くの風鈴が美しい音色を奏でる

祐徳稲荷神社 御本殿

祐徳稲荷神社 御本殿

奥の院への参道途中 残り200mなので序盤である

祐徳稲荷神社 奥の院まで100mという地点。この鳥居からの勾配はかなりきつい。

祐徳稲荷神社 奥の院にて

祐徳稲荷神社奥の院のある展望所より有明海を望む こうした場所でも田は棚田になっているのがわかる

祐徳稲荷神社奥の院のある展望所より有明海を望む 潮が満ちているようだが、ここは肥前鹿島干潟と呼ばれる場所

長崎県 九十九島(くじゅうくしま)

九十九島(くじゅうくしま) 展海峰にて

かつて、この地を訪れたのは梅雨本番といえる時期であり、雨や霧に見舞われ、島の面影もみることはできなかった。それから再訪のチャンスを狙っていたのだけど、ようやく念願がかなって美しい島々の景色をみることが出来た。晴れていれば更に美しいのだろうけれど、曇っていても島影の造形美はかわらない。

曇天であったとしても、島々の美しさはかわらない モノクロームに変換してみたもの

九十九島(くじゅうくしま) 展海峰にて

九十九島(くじゅうくしま) 展海峰にて 曇天であり、写真映えは少ないものの、前回は霧で何も見えなかった事を考えると、今回の天候には感謝である

九十九島(くじゅうくしま) 展海峰にて

九十九島(くじゅうくしま) 展海峰にて

長崎県 鷹島(たかしま)

鷹島というのは呼子にも程近い場所にあるのだけど、県が異なり長崎県である。また、鎌倉時代には元寇と呼ばれるモンゴル軍が攻めてきた場所としても有名である。

現在ではアジやイカなどの天然魚はもちろん、マグロやフグの養殖なども盛んで、日本有数の漁業基地という側面を持つ。この為、島の宿や食事処では天然と養殖された魚介類の刺身などをたっぷりと味わう事ができる。天然と養殖の違いについては色々な意見もあると思うけど、リーズナブルに美味しい魚を味わえるという意味で養殖魚はとても有難い食材だと思う。

特に味が安定している事は食べる側には有り難く、時期や土地によっては味が変わる天然魚よりも手が出しやすい。もちろん、最高の味を求めると選び抜かれた天然魚なのかもしれないけれど、お値段も最高という事になるし、何よりもいつでも味わえないものなのだから。

鷹島にて 夕暮れ

宿近くの港は阿翁浦漁港 「あおううら」と読むのだが、地名の漢字はどこの地でも難しいと感じる

鷹島 阿翁浦漁港にて カラスよりも鳶が多く、水辺にはサギがとても多かった

鷹島 阿翁浦漁港にて

鷹島の宿 旅亭 吉乃や

鷹島

長崎県 鷹島 旅亭 吉乃や さんの夕食 お造り

長崎県 鷹島 旅亭 吉乃や さんの夕食 先付けの類

長崎県 鷹島 旅亭 吉乃や さんの夕食 魚系と椎茸の出汁が効いており、三つ葉の香りが心地よかった。

長崎県 鷹島 旅亭 吉乃や さんの夕食 茄子田楽

長崎県 鷹島 旅亭 吉乃や さんの夕食 揚げ出し豆腐だが、非常に美味。

長崎県 鷹島 旅亭 吉乃や さんの夕食 カンパチのあら煮

長崎県 鷹島 旅亭 吉乃や さんの夕食 フグのから揚げ 別場所で何度か食べた記憶のあるフグだが普通に美味しいレベルの評価だったのだが、こちらのフグはまことに美味であった。やはり、素材と調理の腕で全く違うものだと感じた次第。

鷹島肥前大橋 手前が鷹島 道の駅より撮影

道の駅 鷹ら島にて 8時半に開店とこの手の施設としては早いのだが、観光施設としての役割とともに、地元の海産物を朝から売り出しており、それも非常に価格が安い。朝一番は地元の人で賑わっている。

鷹島を訪れた旅の約1週間後である10月11日、松浦市教育委員会からこの地で三隻目となる元寇船が確認されたと発表があった。短刀や陶磁器の出土もされたとのことだ。宿の朝食時では関係者と思われる大学関係者が、この発掘について話をしていた。別に聞き耳を立てていたわけではないけれど、隣の席なので否応にも聞こえてしまうのだ。所属の違う人間への文句等も言っていた気がしたが、まあそれは聞き流すしかない。

いろは島と大浦の棚田

いろは島

長崎県の九十九島(くじゅうくしま)同様に、湾内に多くの小島が浮かぶ。同名の国民宿舎があることからも、古くから景勝地として有名であることがわかる。弘法大師がいろは島と命名したと言われているようで、その真偽はともかく、自然の造形が美しい地であることは間違いはない。

いろは島展望台付近 霧景色は魅力的だが、これもタイミング。霧が濃ければ景色どころではないのだから。

いろは島の展望台より 霧だったが、島々の姿が見えて良かった

いろは島の展望台より 霧も刻々と状態を変えていく

いろは島の看板

いろは島展望台駐車場の周辺では多くの柑橘類が植えられていた

大浦の棚田

大浦の棚田 観光として複数の棚田があるのだが、この地方は平野が少ないため山麓には多くの棚田が広がっている

軽トラの角度を見ると、斜面自体もかなりの急斜面に田が作られている事がわかる

地図を眺めているだけで、この地では多くの○○の棚田という記述が目立つ。展望台も準備されている棚田も少なからずあるので、観光資源としてこの文化と景色を売り出しているのだろう。北海道のような広い土地に住んでいると、こうした斜面に作られた棚田はとても異質な物に見えてしまうのだが、平野の少ない地では太古からこうした人間の知恵で稲作を続けてきたのだと思う。機械が入らないので昔と変わらず手作業が主体だろうから、その苦労は想像出来ない。

エピローグ

手前の岬は竜飛岬 奥の島影は手前が小島、奥が大島

沖縄をのぞくと九州と北海道は日本の南北端であり、気候も食べ物も異なるものの、個人的には九州はとても好きな地である。社会人になりたての頃でも会社の研修所で出会った九州の先輩たちと話をしていて、本州とは違う文化や考え方が北海道に似ていることも大きいのかもしれない。

勿論、九州も北と南での違いはあるけれど、どこを訪れても楽しく興味深い場所も多い。それはこれこそ北海道と異なり、歴史の違いなのかもしれない。アイヌ文化を含めれば北海道も太古からの歴史はある土地だけれど、和人としての歴史観では北海道と九州の歴史はやはり深さが違うと感じてしまうのだ。次回の旅は何処になるかは決まっていないけれど、直行便のある九州(福岡)はチャンスがあればまた訪れてみたい。