岐阜の美濃太田駅へ着くと、都会とも田舎とも言えない趣の場所であった。ここより長良川と絡み合う様に、北へ向かっているのが長良川鉄道だ。一両編成、後乗り前下りのワンマン車両である。長時間座っていると、腰が痛くなりそうな古い座席だけれど、一人旅はこれくらいのレトロ感があった方が雰囲気は出るのだ。発車までの一時間近くをホームで過ごす。でも、今回の旅はこれを不便とは感じない。時間を気にせず、のんびり移動する旅も時にはいいものなのだ。定刻にゆっくりと汽車が走り出し、関を過ぎ、美濃辺りから長良川の流れが見えるようになった。
窓から川を眺めていると、上流へ行くほど透明度が増しているのが判る。道東で言えば、歴舟川の中流域くらいの規模だ。美濃付近の長良川はジンクリアの清流とはいえない。しかし、北海道の中でも自然が色濃く残されている川と、長良川を比較する事自体がナンセンスだろう。長良川は鮎やアマゴの釣り一つで、生計を立てていた人が居た川なのだ。歴史、郡上釣り文化を育んだ長良川の価値は決して薄らぐものではない。
一時間半ほど汽車に揺られていると、郡上八幡のアナウンスが聞こえてくる。今回の目的地である郡上八幡は、長良川の一支流である吉田川と合流する場所に発 達した城下町だ。駅は合流点よりやや下流に位置していた。到着後、駅隣にある食堂で昼食を取った。注文の品を食べ始めたころ、地元の人が来店一番「川はどうや」と店主と会話を始めていた。本などでは郡上の男達の挨拶が川や釣りの話だと良く書かれているが、それを地でいっているのだ。住民全員がそうかどうかはともかく、郡上の男達が川や釣りが好きというのは間違いないだろう。
今日、2月1日は岐阜県のアマゴの解禁日である。しかし、八幡の町は雪が降り、吉田川も雪に覆われていた。車道もシャーベット状の雪が積もっている。気温はそれなりに上がっているのだが、水温は低く、喰いもイマイチのようだ。岐阜県は渓流釣りが早くから解禁になる場所の一つで、汽車の窓からも長良川の本流で長い郡上竿を操っている釣り人の姿が見えた。八幡の町でも宮ヶ瀬橋や新橋の上から、何人もの釣り人が竿を出しているのが見えた。冬の風物詩と言われている染物を、川にさらしている様子も見える。餌釣り師が殆どだと思っていたけれど、フライで狙っている釣り人が多いのは意外であった。シラメと呼ばれるアマゴは、寒い時期でも水面の餌を食べるという話を、本で読んだ記憶があるけれど、彼らの狙いも、ドライもしくは水面直下のウェットでシラメ狙いなのであろうか。気のよさそうなフライマンが居たので聞いてみようと思ったのだが、声を掛ける前 に何処かへ消えてしまった。
郡上の町を一人旅したのは初めてで、この様な光景も気の向くまま見物出来るのが良い気分である。新橋を渡ると、八幡町の旧役場があった。古い建物ではあるけれど、西洋的な建築物で中は観光案内所になっているようだ。特に土産を買うまでもないのだが、休息所を兼ねており立ち寄ってみた。中には郡上地方の名産が展示してあり、染め物の暖簾などが売られていた。
この旧役場から脇道に入ると、「いがわこみち」と呼ばれる遊歩道がある。細い用水路沿いの道で、所々に柵が設けられていて渓流魚と鯉が泳いでいた。鯉はともかく、町の中を流れる水路に渓流魚が泳いでいるのは、よい演出だと僕は思う。渓流魚の泳ぐことの出来る水が町の中を流れている・・これがこの町を魅力あるものにしているのだろう。八幡の町は文字通り何処でも水が流れていると言っても過言ではない。大きな通りは危険防止の為、水路に蓋をして都会の排水溝の様になってしまってはいる。しかし、皆が寝静まった頃に耳を澄ませば、瀬音が聞こえてくる筈だ
町を歩いていると宗祇水の看板があった。坂になった小径を降りて暫くすると右手にそれがある。日本名水100選の最初に選ばれたという名水で、確かに口に含むと美味しい水という事が判る。ただ、観光名所になっている為、タイミングが悪いと観光客の記念撮影ラッシュで興ざめしてしまうかもしれない。
この後、少し町の中心部から外れた一軒の家を訪れた。無形文化財に指定されている竹・藤細工職人の嶋数男氏の工房だ。以前訪れた時、まさか手には入るまいと思っていた本物の郡上魚籠を手にすることが出来たのだ。嶋氏には弟子は居らず、三代続いた郡上魚籠の伝統も「わしでお終いや」と語る嶋氏の言う通りとなる。
聞くところによると三代130年の歴史があるという。釣り具で 130年もの長きに渡ってその伝統が受け継がれ、更にそれが実用品であるというのは凄い事だと思う。今回、氏の工房を訪れ、気さくな嶋氏と話をすることが叶ったわけだが、嶋氏が作っていて楽しいと感じるのは、夏の間に制作する藤細工だそうだ。魚籠はと言えば、これは冬の仕事となるのだが、形が同じで(型がある為)それを作るのは純粋に仕事であり、遊び心や創造力という自分の感じるままを作り上げる藤細工の方が作っていて楽しい言われていた。
今回、藤細工を手に入れたのだが、藤独特の味わいが何とも言えない。それと、決して釣りでは使う事の出来ない4寸郡上魚籠も欲しかった。これだけは実用品ではない飾り物との事であったが、小さくても魚籠は魚籠。それに、小さな魚籠の方が技術的に難しい部分があるそうだ。
「何年でももつぜ」と語る嶋氏の作る魚籠は実用品。そんな氏が作った可愛い小さな郡上魚籠は、職人仕事の中にも楽しさをと思う氏のささやかな願いなのかもしれない。「夏の北海道に行ってみたいなぁ」、郡上八幡という山里に生まれ育った最後の郡上魚籠職人は、旅の話になると子供の様な無邪気な目を輝かせていた。
宿へ入るまで、のんびりと町並みウォッチングを楽しむ。古さを感じる建物が町に点在しており、あきる事がない。途中、看板が無ければ喫茶店とは思えない店へ立ち寄った。数種類のコーヒーとソフトドリンクがメニューにあるだけなのだが、店主は味にかなりこだわりを持っているようだ。注文を受け、丁寧にコーヒーを落としている姿が目に入ってくる。まもなく運ばれてきたコーヒーは香り良く、味も滑らかで美味しかった。
翌日、宿の外に出ると路面が凍っていた。日中でも日陰はところどころ凍っているので油断は出来ない。町中は一通り歩いてみた為、今日は八幡城へ行くことにした。城へは急なつづら折りの坂道となっているのだが、積雪と路面が凍結の為、歩いて行くことしかできないらしい。急な斜面を持つ八幡山によくも城など建築したものだと思うのだが、実際、築城後に石垣が何度か崩れ、修復は極めて難工事だったそうだ。城への登り口から歩いて20分ほどで山頂の駐車場へ到着した。ここから遊歩道を少し上がった場所に八幡城がそびえている。司馬遼太郎氏が作品の中で最も美しい山城と言っているそうだ。一番二番の話は僕も判らないけれど、急な斜面の頂きにそびえる城は確かに美しかった。
城は中が資料館を兼ねていて甲冑や書物などが展示されていた。この頃の書物は何と書いているのは僕には読むことが出来ない。楷書で書いていればまだしも、流れるような文字の美しさはあるけれど、普通の現代人には読むのは至難の業だ。 ギシギシと音の鳴る木造階段を上ると、八幡町を眼下に眺めることが出来た。吉田川を中心に三方を山に囲まれた町並みが見え、反対方向は徐々に平野部が狭まり、谷となる様子がわかる。城からの帰り道は一方通行となっている道路を逆走する形で下ってみた。徒歩でしか行けないとはいえ何台かの車は走行しているようで轍がくっきり残されていた。
郡上八幡博覧館も訪れてみた。観光客向けの施設で、以前一度訪れた事がある。この手の施設はゆっくりマイペースで歩くと、パック旅行では読みとることの出来ない町の歴史などを知ることが出来る。1ページにコンテンツを無理矢理詰め込んでいるウェブサイト・・それがパック旅行だと思うのだが、こうした場所は時間に余裕があるときに見物するのが一番だ。
ここでは郡上の踊りや、釣りなどの伝統文化と歴史の紹介が中心となっている。他に郡上地方で有名な食品サンプルなどの展示がある。町にはこのサンプルを展示して、観光客向けに販売しているお店もある。全てが本物その物とは言わないまでも、模造の板チョコレートやミカンなどは遠目に見ると、本物と区別がつかないくらいの仕上がりになっている。僕個人は、食品サンプル材で作られたアマゴや鮎の壁掛けなどは欲しいと思う。
アマゴは赤い斑点に我慢すれば、ヤマメそのものだ。リアルという点では魚の剥製があるけれど、最終的には塗装という工程が入っている事を考えると、このサンプル材の魚の方が実物に近い可能性もある。それほどパーマークや背中の斑点は、常に魚を見ている郡上の土地ならではの仕上がりだった。この壁掛けは高価な品物で買えなかったけれど、次回のチャンスがあれば是非買い求めたいものだ。また、この町を訪れる理由が一つ増えた様な気がする。
僕にとっては郡上釣りという文化が一番の魅力であるけれど、町を歩くとそこは水の町であり、歴史の町であった。このことが僕にとって、釣り以上に惹かれる何かを感じた今回の旅だった気がする。
いつかまた、郡上八幡を歩く事を夢見て 2003年2月11日 自宅にて
以下の写真 2016年2月10日 追加