風蓮湖の南側砂州部分を、春国岱(しゅんくにたい)という。アイヌ語でシュンク・ニタイを漢字にあてた地名で意味はエゾマツ林のことらしい。先人がそう名付けた春国岱は、自然が色濃く残っており、遊歩道が整備されているものの原始性が保たれている貴重な場所だそうだ。そんな春国岱は多くの鳥が観察でき、晴れた日は夕日が美しい。
一般的な観光という意味で根室半島は、納沙布岬以外は目立った場所がない。でも、湿原の景色や今回の春国岱のように、手つかずの自然が残されている地域も根室半島である。そんな地を魅力的に感じるかは、それこそ人それぞれだと思うが、僕がこの地に釣りへ行く半分以上は、こうした根室の自然に触れたいからである。
かなり前になるが、厚岸より東の地を「極東」と仲間内で呼ぶようになったのは、僕が最初にその地をそう呼んだからだと記憶している。まあ、誰がというのは大きな問題ではないのだが、厚岸より東に共通するのは、荒涼とした原野が広がる最果感があることと、その地形も独特の雰囲気を持つことだろうか。地形も平坦ではなく、丘陵状となっており、海岸線も独特である。ある意味、日本ばなれしているのが根室半島付近の景色であり、そうした意味をこめて極東と呼ぶようになったと自分で思っている。
湿原が多く点在するこの地は、鳥にとっても住み心地がいいようで、水辺には多くの鳥をみることが出来る。また、丹頂や鷲などの大型鳥類を見かけることも珍しいことではない。遠征中の朝、原野に大型の鳥が舞い降りてきた。暫く、地上でうごめいていたのだが、やがて獲物をつかみ、空へ舞い上がった。尾が白いのでオジロワシかオオワシの幼鳥だと思うが、仲間の撮影した写真では斜めからのカットをみると羽に白い部分が全くないためオジロワシであろうか。
冷涼な根釧原野と十勝平野では、天候も雰囲気も異なる。もっとも、十勝でも直別や厚内の気候は釧路のそれと同じであるから、海に近いかどうかの違いはあるのかもしれない。もっとも、根釧原野は内陸でも畑作には不向きの気候であり、盛んなのは酪農である。十勝は酪農に加え、日本でも有数の畑作地帯である。晴れの日も多く、こんな日に十勝を走ると極東とは違った美しさを感じる。
今回の遠征で釣りが成立したのは、十勝川のみであった。もっとも、事前にアタックした仲間の状況から一変し、基本的には厳しい釣りを強いられたのだが、それでも何本かのアメマスがロッドを曲げてくれた事には感謝しないといけないだろう。この十勝川の釣りは、開幕は例年2月下旬からGW頃までと比較的長い。但し、雪代の影響を受け、4月上旬までは濁りが強い事が多く、氷が落ちた頃か鮭稚魚の始まる4月中旬以降が無難である。
最終盤は河口付近の釣りになるのだが、これについては年により大きくムラがあり、左岸が良い事もあれば、右岸が良い事もありシーズンが始まらないと読めない。今年は右岸が好調だったそうだ。もっとも、この時期に大雨が降れば、釣りにならない増水と濁りで河口の釣りが成立しない事もあるので、例えば厚岸の別寒辺牛川の様な安定感には欠ける。
その別寒辺牛川は今シーズンは開幕から非常に好調の様で、仲間も良い釣りをしているようだ。ただ、この川の最下流の釣りは近年かなり混雑が酷く、僕個人は魚が釣れたとしても行く気になれない。また、ポイントへのアプローチで鉄道軌道を進む必要があり、それを考えると更に躊躇してしまうのだ。実際、軌道を歩くという行為は違法であり、おおごとになる可能性もある釣り場である。昔の様にこの季節に地元の人しか釣らないというレベルであれば、ともかく、近年は道央から多くの釣り人がこの川を訪れる。駐車の問題や釣り人が汽車を停車させたなどという事も発生しているから、社会問題化する可能性もある。
僕自身もこの川で釣った事もあるし、今も聖人の様な釣りをしてきたわけじゃないので、偉そうに書くつもりもないのだが、別寒辺牛川については釣り人はしっかりとした考えと行動をしていく必要を感じる。かつての知床幌別の様に、”釣りのシーズンだけ”パーキングが閉鎖なんて事になる可能性もあるのだからね。
今回の遠征では、既に多くの釣り人が太平洋岸でロッドを振っている姿を見かけた。僕が夏の釣りと思っているウミアメ釣りなのだが、この時期のアメマスは降海が始まっているから波さえ落ちていればサーフでロッドを振るのも理に適っていると僕も思う。実際、釣り最終日の昼はウミアメタックルをセットし、サーフでフルキャストを繰り返してみた。ただ、この時間から猛烈な北西の風が吹き荒れ、サーフの砂が飛ばされ顔に当たるレベルで釣りになる状況ではなくなっていた。帯広へ向かう途中、畑の土が舞い上がり、茶色い靄がかかったようになっていた。十勝川河口のある大津で10mを越える風を観測していたようだ。