夏休みの終わりに

叔父が亡くなったと連絡が入り、葬儀に参列してきた。享年91歳と今の時代でも長生きされたと思うけど、数年前までは今の時期であればオホーツクに走り、カラフトマスを釣るなど、自分がその歳まで生きれたとしても同じ事はまず出来ないだろうと感じるほどパワフルな叔父だったと思う。

旧樺太生まれで当時の釣りの話も聞いたことがあるけど、本当に魚影の濃い川というのは一つの針に二匹釣れる事も珍しくはないと聞いたことがある。ここで魚影というのはヤマメの事であり、当時は川釣りといえばヤマメの事を指していたようだ。

また、昭和初期で全く川が荒らされてない時期なので、イトウもわんさか居たようである。ただ、この時代にイトウを釣るという事は殆ど行っていないようで、その理由というのは「何でも食べる魚なので気持ちが悪い」という事を言われていただったと記憶している。

恐らくはネズミや鳥などまで襲う魚という事と、今の様にゲームフィッシングという時代ではないので、食べようとする魚以外は釣りの対象ではないという事なのかもしれない。

釣り好きという事もあり、会えば釣りの話ばかりしていたと思うけど、巡り合わせか一緒に釣りをしたことが一度もない。それでも、子供の頃に沢山のヤマメを釣ってきた事も覚えているし、話を聞くだけで名手だった事は間違いないと思う。

そういえば戦後、樺太から札幌に引き上げてきた頃、支笏湖のチップを一斗缶に詰めて札幌に持ち帰り、料亭などに売っていたと聞いたことがあったなあ。この当時の支笏湖は底釣りだったらしいのだけど、それでも恐らくは生息数が段違いだったのだろうね。

そうした釣りの話ももっと沢山聞きたかったし、出来れば一緒に釣りにも行きたかった。今となってはかなわない事だけど、話をしただけでも自分のスタイルに何らかの影響を頂いたし、子供の頃から本当に可愛がって貰ったと思う。

叔父さん、本当にありがとうございました。